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大阪地方裁判所 昭和49年(ワ)4930号 判決

原告

岡田道枝

ほか二名

被告

ひだか建設株式会社

主文

一  被告は、原告岡田道枝に対し、金一〇二二万〇九九八円およびこれに対する昭和四八年一月一二日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を、原告岡田勝也、原告岡田秀樹それぞれに対し、金九七二万一〇〇〇円およびこれに対する昭和四八年一月一二日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は全部被告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告らそれぞれに対し、金一〇二八万七六六六円およびこれに対する昭和四八年一月一二日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決ならびに仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

との判決

第二当事者の主張

一  請求原因

1  事故の発生

(一) 発生日時 昭和四八年一月一二日午前一時三〇分ごろ

(二) 発生場所 兵庫県姫路市打越町一三五三番地の一先国道二九号線上(幅員八メートルの直線道路)

(三) 加害車 普通乗用自動車(姫路五な八九八〇)

右運転者 訴外中村正昭(以下中村という)

(四) 被害者 訴外岡田勝利(以下亡勝利という)

(五) 態様 亡勝利が本件事故現場で故障駐車中の軽四輪自動車の排除作業をしていたところ、折から進行して来た中村が、加害車前部を右軽四輪自動車後部に追突させ、その衝撃で同車前部を同車の直前にいた亡勝利に衝突させてはねとばし、同人を同車もろとも路外に押し出し、同車の右前輪で同人の腹部等を轢圧した。

(六) 結果 亡勝利は内臓破裂により即死した。

2  責任原因

(一) 運行供用者責任(自賠法三条)

被告会社は、左記事実関係のもとにおいては加害車を自己のため運行の用に供していたものというべく、運行供用者としての責任を負うべきである。

(1) 被告会社は、訴外西松建設株式会社(以下西松建設という)からいわゆる中国縦貫高速道路建設工事の一部を請負い、さらにその一部を訴外有限会社沖島興業(以下沖島興業という)等に下請させていたものであり、訴外村野繁盛(以下村野という)、前記中村は、被告会社の従業員であつた。かりに村野、中村が被告会社の従業員ではなく、沖島興業の従業員であつたとしても、沖島興業は従業員数約一二名の小企業であつて、被告会社の常傭という立場にあり、右下請工事においてもコンクリート型枠解体作業という簡易な作業を被告会社から請負つていたにすぎず、その就業形態も被告会社から日々仕事をもらつて賃金を受領するといつたものであり、被告会社は、兵庫県宍粟郡安富町にある西松建設の建設現場宿舎(以下飯場という)に、被告会社の従業員訴外森崎義秋(以下森崎という)を下請業務を統轄する現場監督者として派遣し、右森崎が、毎日沖島興業等の下請業者に指示を与え、各下請業者の業務を点検し、沖島興業の従業員に直接指示を与えることもあり、また、沖島興業の従業員の雇用にあたつては、被告会社の同意が必要であり、沖島興業に対し従業員の増員を指示することもあつたが、中村の雇用も右指示に基づき被告会社同意のもとになされたものであつて、被告会社と沖島興業(したがつてその従業員)との関係は雇用関係に準ずるものであつた。

(2) 加害者の実質的所有権ないし使用権は被告会社にあつたものであり、被告会社は、沖島興業に下請工事を遂行させるために加害車を貸与し、その使用管理についても指示を与えていた。

すなわち、加害車の登録使用者名義人は訴外成田勇(以下成田という)であり、同人は、被告会社の取締役成田巌と兄弟であるとともに、被告会社の管理職の地位にあつたが、昭和四七年暮ごろ、成田は被告会社の車を使用させてもらう代りに、加害車を被告会社事務所前に駐車させて同車の処分を被告会社代表取締役日高秀人(以下日高という)に一任することとし、そのころ同車の実質的所有権ないし使用権は被告会社に移転した。そして、被告会社は、村野から要望されて、昭和四八年一月八日ごろ、下請工事遂行のため加害車を沖島興業に貸与し、森崎の指示のもとに村野、中村らをして前記飯場と工事現場との間の連絡あるいは工事現場の巡回等に使用させていた。村野が加害車を買い受けたとの後記被告会社の主張事実は否認する。

なお、被告会社は、前記のとおり加害車を貸与する以前においても、沖島興業に対し被告会社のダンプカーや森崎個人の車を工事現場巡回等のため使用させ、あるいは、加害車のガソリン代についても、被告会社名義で伝票を切らせて被告会社が立替払をする等の便宜を供与していた。

(二) 使用者責任(民法七一五条一項)

被告会社には、中村の使用者として、もしくは、使用者に準ずる者として、民法七一五条一項の責任がある。すなわち、

(1) 前記(一)(1)記載のとおり、被告会社と中村との間には使用者、被用者の関係もしくは使用者、被用者と同視しうる関係があつた。

(2) 本件事故は、中村が前記飯場に保管されていた加害車を夜間被告会社の業務の執行として運行中発生したものである。

(3) 中村には、前方不注視、徐行懈怠、追越不適当およびハンドル・ブレーキ操作不適当の各過失がある。なお中村は、本件事故当時飲酒のため正常な運転ができないおそれのある状態であつた。

3  損害

(1) 亡勝利の損害(逸失利益) 二七八八万三八〇〇円

亡勝利は、本件事故当時二七歳で、昭和四七年春ごろより、従業員五人を雇用して青果物小売店(合計五店)を経営し、年間少くとも二〇〇万円の収入を取得していたところ、同人の就労可能年数は死亡時から三五年、生活費は収入の三〇パーセントと考えられるから、同人の死亡による逸失利益をホフマン式計算方法により年五分の割合による中間利息を控除して算定すると(ホフマン係数一九・九一七)二七八八万三八〇〇円となる。

(2) 原告らの損害(いずれも原告ら各三分の一宛)

イ 死亡診断書作成料 三〇〇〇円

ロ 遺体検死および処置料 二万五四〇〇円

ハ 葬儀費用 四〇万円

ニ 慰藉料 六〇〇万円

原告道枝は、本件事故当時生後三年二ケ月の原告勝也を養育するかたわら、妊娠八ケ月になる原告秀樹を胎内に宿していたもので、原告ら一家の支柱として欠くことのできない存在であつた亡勝利を失い、原告勝也、同秀樹ともども、はかり知ることのできない甚大な精神的打撃を受けた。

ホ 弁護士費用 一六〇万円

(以上(1)、(2)合計三五九一万二二〇〇円)

4  原告らの相続

原告道枝は亡勝利の妻、その余の原告らはいずれも同人の子であるところ、同人の死亡により同人に帰属した本件損害賠償債権(右3(1))を法定相続分(各三分の一)に応じて相続により取得した。

5  損害の填補 五〇四万九二〇〇円

原告らは、中村より香典として、訴外安田火災海上保険株式会社より自賠責保険金として合計五〇四万九二〇〇円の支払を受け、右金員の各三分の一宛原告らの各本件損害金内金の支払に充当した。

6  結論

原告らは、右損害金合計三五九一万二二〇〇円より右受領分合計五〇四万九二〇〇円を差引いた損害残金三〇八六万三〇〇〇円の三分の一である一〇二八万七六六六円をそれぞれ請求することとする。

よつて、原告らはそれぞれ被告会社に対し、一〇二八万七六六六円およびこれに対する不法行為の日である昭和四八年一月一二日から支払ずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する被告会社の答弁

1  請求原因1(一)ないし(四)の事実は認め、その余の事実は不知。

2  同2(一)(1)のうち、被告会社が西松建設から中国縦貫高速道路建設工事の一部を請負つたこと、沖島興業が被告会社からさらに右工事の一部を下請したこと、沖島興業は従業員数約一二名の有限会社であつたことは認め、その余の事実は否認する。

被告会社と中村は使用者、被用者の関係にはなく、同人は沖島興業に従業員として雇用されていたところ、右沖島興業は、後記のとおり、本件工事現場の従業員を直接指揮、監督する等して下請業務の運営を独立して自主的に遂行して来たのであり、請負代金の支払についても、被告会社から沖島興業の個々の従業員に対して直接支払われることはなく、毎月二五日に締切り、翌月一〇日に出来高を算定して一括して沖島興業に支払われていたものである。

沖島興業は、代表者の訴外木脇道英(以下木脇という)を三日に一度位の割合で飯場に派遣するとともに、従業員村野を現場責任者として飯場に常駐させ、右木脇、村野が下請業務の遂行について従業員に具体的な指示、監督をなしていたのであつて、被告会社の従業員である森崎が沖島興業の従業員に対し直接指示、監督することはなかつた。

また、右森崎がこれまで沖島興業に対し人員の増加を要請したことはあるが、中村の雇用については一切関与しておらず、沖島興業およびその現場責任者村野の自主的判断に基づいてなされたものである。

以上の次第で、被告会社と沖島興業(したがつてその従業員)との関係は純然たる元請と下請の関係であつて、雇用関係に準ずるようなものではなかつた。

3  同2(一)(2)のうち加害車の登録使用者名義人が成田であることは認めるが、その余の事実は否認する。

成田は、コンクリート型枠関係の仕事を独立して営んでいたが、同人は、被告会社の代表取締役である前記日高の義弟であり、右型枠関係の仕事の五割近くを被告会社から下請するなど被告会社とは公私とも密接な関係にあつた。ところで、右成田は、本件加害車の所有者であつたが、同人の雇用する従業員数が増加したため、加害車では間に合わなくなり、被告会社のマイクロバスを使用させてもらう一方、不用となつた加害車の売却方を右日高に依頼し、昭和四七年一二月初旬ごろから加害車を被告会社事務所前に放置したまゝにしておいた。そして、成田は、昭和四八年一月八日被告会社事務所において、右日高の仲介により加害車を代金一五万円、毎月三万円の割賦払いの約定で村野に売り渡し、即日車両を引き渡した。以後村野が、右加害車につき保管場所の指定、キイの保管等を含む一切の管理をなし、その裁量により同車を自由に運行していたものであるが、同人はもつぱらこれを通勤の用に使用していた。なお、加害者の登録使用者名義人の変更手続がなされていないが、なんら不自然なことではなく、自動車の割賦売買の場合には、担保のため代金完済まで右手続をとらないのが通常である。

以上のとおりであつて、被告会社が本件加害車について実質的所有権ないし使用権を取得したことは一度もなく、ましてや沖島興業に同車を貸与し、その使用管理について指示を与えたりしたことは全くない。

被告会社が従前同社の車あるいは森崎個人の車を沖島興業に利用させたことはあるが、その従業員に当該車の運転をさせたことはなく、しかも、沖島興業において他の下請工事との関係でその所有する車の都合がつかない場合に限り、例外的に利用させていたものにすぎない。

4  同2(二)(1)についての答弁は、請求原因2(一)(1)に対するそれと同じ。

5  同2(二)(2)の事実は否認する。

中村は、沖島興業の現場責任者である村野所有の加害車を同人に無断で持ち出し、しかも私用のために深夜飲酒運転中本件事故を惹起したものであり、右事故は被告会社の業務とは全く関係がない。

6  同2(二)(3)の事実は不知。

7  同3の事実は不知、損害額は争う。

8  同4の事実は不知。

三  被告会社の主張(請求原因2(一)に対するもの)

本件事故は、中村が沖島興業の現場責任者である村野所有の加害車を同人に無断で持ち出し、しかも、私用のために深夜飲酒運転中発生したものであるから、被告会社は本件事故当時加害車の運行につきなんら具体的な支配および利益を有していなかつた。

四  被告会社の主張に対する原告らの答弁

本件加害車につき実質的所有権ないし使用権を有していた被告会社は、中村、村野らを含む沖島興業の従業員に対し同車を下請業務の遂行に使用させていたところ、同車は前記飯場に常時保管され、キイは飯場の水屋の抽斗の中に置かれており、中村らは右飯場で寝泊りしていたのであるから、被告会社は、飯場が交通不便な場所でもあり、夜間においても同車が中村らによつて使用されるであろうことは当然予想していたものというべきである。本件事故は、右のとおり中村が飯場に保管されていた加害車を運転中惹起されたものであつて、被告会社の加害車に対する具体的な運行支配および利益は喪失されていなかつた。

第三証拠〔略〕

理由

第一事故の発生

請求原因1(一)ないし(四)の事実は当事者間に争いがない。成立に争いのない甲第一ないし第四号証、第六号証および同乙第五号証によれば、請求原因1(五)および(六)の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

第二被告会社の責任

一  被告会社が西松建設から通称中国縦貫高速道路建設工事の一部を請負い、さらにその一部を沖島興業が下請したこと、沖島興業は従業員数約一二名の有限会社であつたことおよび本件加害車の登録使用者名義人が成田であることは当事者間に争いがない。

二  前掲甲第六号証、乙第五号証、成立に争いのない甲第五号証、第七号証、第一三号証、証人村野繁盛、同成田勇の各証言により真正に成立したものと認められる乙第一号証、証人村野繁盛の証言による真正に成立したものと認められる乙第四号証、証人村野繁盛の証言の一部、証人森崎義秋、同成田勇の各証言および被告会社代表者本人尋問の結果の一部を総合すれば、次の事実が認められる。

1  被告会社は、昭和四六年九月一〇日資本額一〇〇万円で土木建築請負ならびに設計施行を目的として設立された株式会社であつて、右設立以来日高がその代表取締役に就任しているところ、本件事故当時建設工事におけるコンクリート型枠工事(コンクリートを流し込むための型枠の組立および解体工事)の施行を営業の主体とし、直属の正社員は五人(臨時雇い的な者を含めると三〇ないし五〇人)で、その請負つた工事をさらに沖島興業その他の下請業者に請負わせて処理し、一方沖島興業は、代表者を木脇とし、主としてコンクリート型枠解体工事の下請を業とする有限会社であつて、本件事故当時村野、中村ら約一二人の従業員を擁していた。被告会社の総下請工事の中に占める沖島興業の割合は必ずしも高くなく、被告会社が沖島興業を特に優遇したことはなかつたし、沖島興業自身被告会社以外の業者からも工事を請負つていたものである。被告会社は、沖島興業に対し被告会社が請負つた工事の一部を下請させるにつき、右一部のうちの一部を発注し、それが完成すればさらにその余の一部を発注するというように部分的に順次発注して下請させ、請負代金は月に一度出来高に応じ一括して沖島興業に支払つていた。

被告会社は、前記日高の個人企業であつた昭和四五年九月ごろから、コンクリート型枠解体工事の一部を四・五回にわたり継続して沖島興業に下請させていたが、右型枠解体工事受注の減少に伴い、昭和四七年に入つてから約半年間沖島興業の下請が途絶えていたところ、沖島興業においては村野を新たに雇用して土木工事にも力を入れるようになり、木脇が型枠解体工事の、村野が土木工事の各責任者として役割分担することとした。被告会社は、昭和四七年九月ごろ、西松建設から中国縦貫高速道路建設工事のうち安富工区のコンクリート型枠工事およびこれに付随する土木工事を請負い(以下本件工事という)、そのほとんどすべてをさらに下請にまわし、沖島興業には、同年一〇月末ごろ、右のうち土木工事の一部(機械で掘削したあとの人力による土掘り、地上げあるいはぐり石敷き作業等)を下請させた(以下本件下請工事という)。なお、沖島興業は本件下請工事担当時、他の業者からの工事も並行して下請していた。

2  被告会社が西松建設から請負つた中国縦貫高速道路安富工区の工事現場は、全長約三・六キロメートルで、そのほぼ中間地点に西松建設の飯場(兵庫県宍粟郡安富町所在)があり、被告会社は、右飯場の中に仮事務所を設置し、現場監督者として被告会社従業員森崎を毎日飯場に派遣して工場現場を巡回させ、本件工事の施行場所、進行状況、施行方法、出来具合等につき、西松建設との打合せに基づいて各下請業者あるいはその現場責任者に対する指示、監督にあたらせ、各下請業者はその指示に従つて作業を実施していた。ところで、沖島興業は、本件下請工事の遂行のため、村野を現場責任者として飯場に常駐させ(同人は飯場に寝泊りしていた。)、数ケ所に分散した下諸工事現場を巡回させていたところ、右工事内容が土木工事であつたため、型枠工事を主たる営業とする被告会社は、右工事の施行方法および出来具合については一応村野に委せていたものの、その具体的内容は、前記のとおり型枠組立工事に付随する比較的簡便な雑工事であつて、独立して計画し、采配を振うような性質の工事ではなく、しかも、工事の施行場所および進行については、森崎が型枠組立工事の進行に応じ、村野に対し具体的に指示、監督し、同人はこれに基づいて従業員の配置、仕事の段取り等を進めていた。なお、被告会社は下請工事の進行状況によつては、沖島興業に対し従業員の増員を要請したことはあるが、沖島興業が具体的に従業員を採用しようとするにあたつて同意したり拒否したりしていたわけではなく、沖島興業が自らの判断で採否を決していたものであり、被告会社において西松建設に対し沖島興業を含む各下請業者の従業員名簿を提出していたが、それは、西松建設が各下請業者の従業員につき一括して労災保険関係の面倒をみていたからであり、中村の雇用に関し、被告会社として増員要請したことも、その雇用に同意、不同意の意思を表明したこともなかつた。

3  成田は、従業員を雇用し、独立してコンクリート型枠工事の下請業を営んでいたが、同人の義兄が被告会社の代表者日高であつたことから、右成田の仕事の約五割を被告会社から下請するなど同社との密接な間柄にあつた。成田は、本件加害車を所有し、その登録使用者名義人であつたところ(登録所有者名義人は本田技研工業株式会社)、右加害車を従業員の運搬に使用していたが、従業員数の増加に伴い加害車では間に合わなくなつたため、被告会社のマイクロバスを使用させてもらうこととし、昭和四七年一二月ごろ、不用となつた加害車の売却につき、その相手方その他売却条件および代金の取立を含む一切を右日高に一任し、同人は加害車のキイを預つたうえ被告会社事務所前の作業場に同車を保管していた。ところで沖島興業の従業員である村野は、私用と本件下請工事に用いるため車の入手を考えていたが、昭和四八年一月八日同人が被告会社事務所を訪れた際、右日高に対し加害車の買受けを求めたところ、同人は、右要請にこたえて電話で成田を同事務所に呼び出し、成田、村野間に売買代金一五万円、三万円の月賦払との約定で加害車の売買をとりまとめ、即日同車は村野に引き渡された。右売買に当り、登録使用者名義人の変更手続はなされず、売買契約書も作成されなかつたところ、昭和四八年一月一二日本件事故が発生するや、その日のうちに被告会社事務所において、森崎の指示に基づき村野の本件事故は被告会社と無関係である旨の証明書が、また、成田の要望により右日高の指示に基づいて村野と成田の間で同八日付加害車の売買契約書がそれぞれ作成されるに至つた。

4  被告会社は、加害車の右売買以前において、沖島興業に対し、その本件下請工事について時おり被告会社の車あるいは森崎個人の車を使用させたことがあり、また、加害車のガソリン代についても、被告会社がガソリンスタンドに口をきき、同社名義で伝票を切らせ、伝票を同社のほうへ回させて立替払いし、沖島興業に対する下請代金支払日に右代金中村野の給料分で決済することとしていた。

5  村野は、加害車購入後本件事故までの短期間ではあつたものの、加害車を、自らのために用い、また、森崎から指示を受けた工事につき、沖島興業の従業員に運転を指示しあるいは自からが運転して、数ケ所の分散した本件下請工事現場の巡回、相互連絡あるいは飯場と右工事現場間の従業員の送迎等に利用し、森崎もこれを承知していた。なお、村野は、加害車を前記飯場のうち沖島興業の使用する飯場に保管し、そのキイは右飯場の水屋の中に入れており(施錠はしていない。)、沖島興業の従業員であれば、事実上運転しようと思えばいつでもこれを運転しうる状態にあつた。

6  中村は、昭和四八年一月九日ころ沖島興業に雇用され、他の沖島興業の従業員と右飯場に寝泊りし、土工として働いていたところ、本件事故当日勤務を終えたのち飲酒したあげく、神戸市内の友人の家に預けていた運転免許証を取りに行こうと思い立ち、所用を終えたら直ちに帰還するつもりで、深夜村野に無断で右キイを用い、右飯場に置いてあつた加害車を持ち出し、これを運転中本件事故を惹起した。

以上の各事実を認めることができ、右認定に反する証人村野繁盛の証言および被告会社代表者本人尋問の結果中の後記各供述部分は、いずれも以下に説示するとおりたやすく措信しがたく、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。すなわち、

原告らは、村野が被告会社から加害車を貸与されたものであつて、前掲乙第一号証、第四号証の各記載事実は仮装されたものである旨主張しているところ、証人村野繁盛の証言中には、昭和四八年一月八日ごろ、村野と森崎(岡崎とあるのは右証人村野の誤解と認められる)との間に加害車を時価相当で買い受ける話が持ち上がり、即日村野は森崎と共に被告会社事務所前まで赴き、同車の引渡しを受けたが、その翌日前記日高から「使つておけ」と言われ、結局被告会社から同車を借り受けたものと考えていた旨の供述部分があり、前記認定のとおり本件事故が惹起されるや、急きよ本件事故につき被告会社は無関係である旨の村野名義の証明書(乙第四号証)および加害車につき同月八日付で成田、村野間の売買契約書(乙第一号証)がそれぞれ作成されるに至つている事情も存する。しかしながら、森崎は本件工事の現場監督者であつたとはいえ、被告会社の従業員にすぎず、前記村野の供述部分のとおり村野と森崎との間で加害車売買の話が持ち上がり、同車の引渡しまで了してしまつたとすれば、いささか不自然であるというべきこと、証人森崎義秋の証言中には、村野がはじめて加害車に乗つて来た時、森崎においてその理由を正したところ、被告会社から分けてもらつたとの返答があつた旨の供述部分があり、右は、村野による加害車の使用が売買によるものか貸借によるものかはさておき、森崎は村野が加害車に乗車するようになつたいきさつすら知らなかつた旨の供述であること(このことは証人成田勇の証言および被告代表者本人尋問の結果とも符合する)、被写体である文書がその方式および趣旨により公務員が職務上作成したものと認められることにより真正な公文書(口頭弁論調書)というべき甲第九号証および証人村山真の証言によれば、村野は、本件事故の示談交渉過程においては同人が加害車の所有者でないことを明らかにしておらず、本件事故に関し、原告らから村野に対して神戸地方裁判所姫路支部に提訴された損害賠償請求事件の第一回口頭弁論期日においてはじめて、加害車は村野所有の車ではなく、被告会社から借り受けたものである旨主張するに至つたことが認められ、村野の右主張は同人が本件事故による責任を回避するための弁明にすぎないものとも解しうること、証人村野繁盛、同成田勇の各証言および被告会社代表者本人尋問の結果中には、本件事故後前記村野名義の証明書および売買契約書が作成された際、村野はその各作成につきなんら異議を述べなかつた旨の供述のあること、以上の諸点に、証人成田勇の証言および被告代表者本人尋問の結果中に加害車売買の経緯に関する詳細な供述部分が存することを併せ考慮すると、前記証人村野繁盛の供述部分はにわかにこれを措信することはできず、また、本件事故後急きよ前記村野名義の証明書および売買契約書がそれぞれ作成されたとの事情も、本件事故に対する責任の所在を明確にするための手段として充分了解しうるところであつて、村野が加害車を買い受けたとする前記認定に相反または矛盾するものではないというべきである。なお、証人村野繁盛の証言中には本件事故後前記売買契約書を作成するにあたり、社長である日高には恩義があり、被告会社に迷惑をかけることは避けたいとの考慮が村野に働いたから異義を述べなかつた旨の供述部分があるが、証人森崎義秋、同成田勇、同村山真の各証言および被告会社代表者本人尋問の結果に照らし信用し難い(もつとも、村野が本件加害車を買い受けたことが仮装でないこと以上により明白であるが、このことが本件事故に関し被告会社の運行供用者責任を否定する根拠となりえないことは後記のとおりである。)。

次に被告会社代表者本人尋問の結果中には、本件下請工事現場の巡回等には車は不必要であり、村野はそれ以外の目的のために加害車の買受けを望んでいた旨の供述部分が存するが、被告会社代表者日高が本件工事現場に直接赴いて各下請業者に対し指示したりすることは全くなかつたことは右代表者本人尋問において自から認めるところであり、本件工事現場監督者であつた証人森崎義秋の証言に照らし、右供述部分はとうていこれを措信することはできない。

以上の認定事実に基づいて考えてみるに、被告会社は沖島興業に対して昭和四五年九月頃から本件事故時まで昭和四七年の一時期途絶えていたもののそれ以外はほぼ継続して型枠解体工事あるいは土木工事を請負わせていたこと、被告会社は、沖島興業に対し本件下請工事につき時おり被告会社の車あるいはその従業員の車を沖島興業の従業員に利用させる等の便宜を図つていたところ、原告主張のように被告会社が本件加害車の実質的所有権ないしは使用権を取得し、同車を沖島興業に貸与したということはないが、加害車の所有者であり、被告会社ないしその代表者日高とは密接な間柄にあつた成田から加害車の処分および代金の取立を一任された右日高が、同社の下請業者である沖島興業の本件下請工事現場責任者村野の要請にこたえ、売買代金の支払につき頭金なしの月賦払という比較的有利な条件で同人に加害車を取得させ、そのガソリン代についても被告会社名義の伝票で購入させて、その代金を立替払する等被告会社が沖島興業の従業員である村野の加害車買受けおよびその後の使用について便宜を供与していること(なお、前記認定のとおり加害者の売買契約成立時には契約書は作成せず、本件事故発生後急きよ作成したことに併せて、証人村野繁盛、同成田勇の各証言および被告会社代表者本人尋問の結果によれば、村野は本件事故後一時所在不明になつたが、たとえかかる事情があるにせよ、加害車の売買代金が前記日高より村野に対し一度も請求されていないことが認められることを考慮すると、日高は右代金につき厳しい取立までは考えていなかつたことが窺える。)、被告会社は西松建設の飯場に仮事務所を設置していたところ、村野は、加害車を右飯場のうち沖島興業の使用する飯場に保管し、短期間とはいえ、本件下請工事のため加害車を使用したこと、また、加害車の運行は直接的には村野の指示に基づくものではあつたものの、村野は被告会社の現場監督者たる右森崎よりその都度下請工事の施行場所および進行状況につき具体的に指揮、監督を受け、右に応じて村野が右工事の用に供するため加害車の具体的運行を決定していたのであるから、その意味では被告会社も間接的に加害車の運行に関与していたものとみられることなどの事情からすれば、被告会社は加害車の一般的な運行につき、事実上支配力を有し、かつその運行による利益を享受していたもので、自己のため加害車を運行の用に供する者に当ると解するのが相当である。

ところで、前記認定5および6の各事実によれば、本件事故当時中村は被告会社および沖島興業の業務の執行とは関係のない私用目的で深夜村野に無断で加害車を運転していたことが明らかであるが、しかし、加害車は前記のとおり沖島興業の使用する飯場に保管され、そのキイは飯場の水屋の中に入れられたままになつており、沖島興業の従業員であれば、事実上運転しようと思えばいつでも加害車を運転しうる状態にあつたもので、右飯場に寝泊りしていた中村は、勤務終了後深夜友人宅へ自己の運転免許証を取りに行くという限られた目的のために加害車を一時無断借用し、所用を終えたら直ちに返還する予定でこれを運転したのであつて、かかる事情のもとにおいては、被告会社の加害車に対する運行支配および利益はいまだ喪失したものと解することはできない。したがつて、右の運行支配および利益喪失に関する被告会社の主張は理由がないものというべきである。

そうすると、被告会社は、本件事故により蒙つた亡勝利および原告ら(亡勝利と原告らの身分関係は後記のとおり)の損害につき運行供用者責任を免れることはできず、自賠法三条により右損害を賠償する責任がある。

第三損害

一  亡勝利の損害(逸失利益)

成立に争いのない甲第一〇号証、第一四号証、原告岡田道枝本人尋問の結果および弁論の全趣旨によれば、亡勝利は、本件事故当時二七歳五ケ月で、昭和四四年ごろから兄岡田温和と共同で青果物卸業であるフジ青果(株式会社)を経営する一方、昭和四七年四月からは右フジ青果の名称のもとに独自に原告道枝と共に従業員四人を雇用して青果物小売商を営んでいたが、原告道枝は右小売商を手伝う程度で、その経営はもつぱら亡勝利の労働に依拠していたところ、同人の死亡により原告らは右小売商の営業を手離すことを余儀なくされ、右温和がこれを引継いだが、原告らにはなんの見かえりもなかつたこと、亡勝利は、昭和四七年の実績によれば、少くとも年間二〇〇万円の純収益を右小売商の経営により取得していたことが認められ、経験則によると、亡勝利の就労可能年数は、死亡時から三五年、生活費は収入の三〇パーセントと考えられるから、同人の死亡により逸失利益を年別のホフマン式計算方法により年五分の割合による中間利息を控除して算定すると、次のとおり二七八八万三八〇〇円となる。

二〇〇万円×(一-〇・三)×一九・九一七=二七八八万三八〇〇円

二  原告らの損害

1  死亡診断書作成料ならびに遺体検死および処置料

原告岡田道枝本人尋問の結果、右により真正に成立したものと認められる甲第一一、一二号証および弁論の全趣旨によれば、原告道枝は亡勝利の妻、その余の原告らはいずれも同人ら間の子であるところ、原告らは死亡診断書作成料として三〇〇〇円、遺体検死および処置料として二万五四〇〇円合計二万八四〇〇円を支出したことが認められ、右は本件事故と相当因果関係のある損害と認めるのが相当である(原告ら各三分の一負担でそれぞれ九四六六円となる。)。

2  葬儀費用

原告岡田道枝本人尋問の結果および弁論の全趣旨によれば、原告らは亡勝利の葬儀関係費用として四五万円をこえる金員を支出したことが認められるところ、経験則によれば、当時の社会的に相当な葬儀費用の額は三〇万円と考えられるので、右三〇万円の限度において本件事故と相当因果関係のある損害と認めるのが相当である(原告ら各三分の一負担でそれぞれ一〇万円となる。)。

3  慰藉料

原告岡田道枝本人尋問の結果によれば、前記のとおり原告道枝は亡勝利の妻、その余の原告らはいずれも同人ら間の子であつて、亡勝利を支柱として生活をともにしていたこと(ただし、原告秀樹は左記のとおり胎児)、本件事故当時原告道枝は二五歳で妊娠八ケ月による原告秀樹を胎内に宿し、原告勝也は三歳であつたことが認められ、右認定事実に、本件事故の態様、結果その他諸般の事情を勘案すると、亡勝利が死亡したことによる原告らの精神的損害を慰藉すべき額は、原告道枝につき二〇〇万円、その余の原告らにつき各一五〇万円とするのが相当である。

第四相続

原告道枝が亡勝利の妻、その余の原告らがいずれも同人の子であることは前記認定のとおりであり、原告道枝本人尋問の結果および弁論の全趣旨によれば、亡勝利には原告らのほかに相続人たるべき者の存しないことが明らかである。

そうすると、原告らは、亡勝利の死亡により同人に帰属した本件損害賠償債権(前記第三の一)を法定相続分(各三分の一)に従い相続承継したものといえるから、その結果原告道枝が被告会社に対して賠償を請求しうる損害額は、合計一一四〇万四〇六六円(相続分九二九万四六〇〇円、固有分二一〇万九四六六円)、その余の原告らの損害額は、合計各一〇九〇万四〇六六円(相続分各九二九万四六〇〇円、固有分各一六〇万九四六六円)となる。

第五損害の填補

原告らが自賠責保険金および中村からの香典合計五〇四万九二〇〇円の支払を受け、右金員の各三分の一宛原告らの前記各損害額の内金の支払に充当したことは、原告らの自ら主張し、被告会社が明らかに争わないところである。

そうすると、原告らはそれぞれ一六八万三〇六六円(ただし、原告道枝は一六八万三〇六八円)の支払を受けたことになるから、原告らの前記各損害額から右填補分を差引くと残損害額は、原告道枝につき九七二万〇九九八円、その余の原告らにつき各九二二万一〇〇〇円となる。

第六弁護士費用

原告らが、本件訴訟の提起、追行を原告ら代理人に委任したことは記録上明らかであり、本件事案の内容、審理経過、認容額その他諸般の事情を考慮すると、本件事故と相当因果関係のある損害として被告会社に賠償を求めうる弁護士費用の額は、原告らについて各五〇万円とするのが相当である。

第七結論

よつて、被告会社は、原告道枝に対し一〇二二万〇九九八円およびこれに対する不法行為の日である昭和四八年一月一二日から支払ずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を、その余の原告らそれぞれに対し九七二万一〇〇〇円およびこれに対する前同日から支払ずみに至るまで前同割合による遅延損害金を支払う義務があり、原告らの被告会社に対する本訴請求は右の限度で正当であるからこれを認容し、その余の請求は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 鈴木弘 内藤紘二 畑中英明)

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